Into the Andes: Chapter Four
父と息子の大冒険
アンデスでの4週目は、美しい青が印象的なラハ川からラグナデルラハへ向かいます。湖の近くには草木はまったくなく、黒い火山岩が広がり、それはとても綺麗でした。ルカは一人で先に登り始めました。走っているあいだ、ほとんど人を目にすることがなかったので、ルカのことが心配になってきました。ルカは登りではるか先を進んでいました。その道は途中で2つに別れており、1つは湖へ、そしてもう一つは西へ進む道でした。
その後、チリとアルゼンチンの国境である標高2,060メートルのパソ・ピチャチェンが控えていたため、時間や体力を無駄にすることはできませんでした。当初の計画では午前中に25キロほどを走り、翌朝、山を越える予定でした。この旅を通して、われわれは父と息子という関係だけではなく、とても貴重な経験を共にする「仲間」という関係になっていました。
「この旅を通して、われわれは父と息子という関係だけではなく、とても貴重な経験を共にする「仲間」という関係になっていました。」
ルカは私がいる場所から少しだけ先にいましたが、戻ってきてくれました。ルカはMogul Conitosというチリのガムをくれました。この旅で2人とも大好物になっていたガムでした。次の2日間はとても大きなライドが待ち構えていました。すべてが荒れたグラベルロードで、休憩場所もない160キロの道のり。標高3,650メートルへの長いヒルクライムチャレンジでした。
「ここまでの3週間で1,200キロ以上を走りきり、身体が仕上がっていたので、このタフなチャレンジも乗り越えられる自信がついていました。」 雲ひとつない青空が広がり、日差しはとても強く、朝でも既に気温26度まで上昇していました。湖までの1時間続くアップダウンの道は、ところどころに黒い火山灰があり、私たちの行く手を妨げました。風が音を立て、涼しさを感じると同時に、今ここには私たち2人だけなんだ、という感覚が強くなりました。湖の数百メートル上をゆっくりと進んでいきました。
そこには10年以上前に訓練中亡くなった兵士の墓を示す岩と共にチリの国旗が立てられていました。兵士たちは5月の初冬にアンデスに入り、吹雪で道に迷ったそうです。晴れた雲ひとつない日には、80キロ以上離れた湖と雪をかぶったボルカン・アントゥコが綺麗に見えます。亡くなった兵士たちがいた兵舎がまだあると教えてもらい、そこでキャンプをしようと考えました。暑いなか1時間走り、やっと小川に到着し、水を汲み上げていると、偶然放棄された兵舎を見つけました。玄関のドアが開いていたので中に入り、寝る場所を探していたら、突然、兵士と軍曹が階段から降りて来たのです。冷たい水をもらい、近くで寝られる木陰を教えてくれました。
この40日間の旅で日陰はとても貴重だったので、しばらく休憩することに決めました。二人ともテント張りも慣れ、どこで自分の家のように快適に過ごせるようになっていました。しばらく別の小川のそばに座り、のんびり過ごしました。南に続く一本道は、ボルカン・アントゥコの近くを通り、すでに走った国へ戻る道でした。そのため私たちは東のアルゼンチンへ向かうことにしました。
翌朝8時、朝食のクッキーを食べ、テントを片付けてからマイナス1度のなかを走り始めました。気温はどんどん上がり、真昼の暑さの前にはパソ・ピチャチェンに到着したいと思っていました。2つの国境検問所がありました。それはトレイラーハウスのようでチリとの国境でした。自転車で国境を超える通行人はほとんどいないため、職員は慣れない事務処理に手こずっているようでした。彼は笑顔の見送られながら、私たちは再び走り出しました。先には21キロの登りが待っています。
ここまでの3週間で1,200キロ以上を走りきり、身体が仕上がっていたので、このタフなチャレンジも乗り越えられる自信がついていました。
ルカが先を行き、私も追い風に乗りながらペースを維持しました。グラベルの道は急に険しくなったり、スムーズな下りになったり表情を変えるので、最後の1キロはとても楽しむことができました。後ろを振り返ると、とても美しい火山湖が目に飛び込んできました。運転手のフィデルさんと3人で一緒に、山頂で食べたご飯は最高でした。フィデルさんはチリに戻るため、ここでお別れです。「アルゼンチンへ、ようこそ」と書かれた標識を横目に、柔らかいダートロードの最高の下りを走り始めました。重いバッグを取り付けたバイクはどんどんスピードを上げ、足を休ませながら一気に駆けおりました。
「アルゼンチンへ、ようこそ」と書かれた標識を横目に、柔らかいダートロードの最高の下りを走り始めました。
その日は8時間ほど走り続け、日没近くにはグアナコスに到着しました。走っているとき、グアナコスがどれほど遠くにあるのか、そこにお店があるのかさえ分かりませんでした。道で会った釣り人に、その町は25キロ先だと言われましたが、その情報は間違いでした。夕方、馬に乗った年配のガウチョに会い、グアナコスまであと1.5キロで、お店もあって今の時間ならまだ開いていると聞きました。
「ルカとここで過ごした時間は、まるで夢のようでした。」
パソ・ピチャチェンの砂漠のような景色は、永遠に続くような幻想的な下りでした。水を補給するために止まったこの緑のオアシスはもっと休憩しても良かったのですが、遅くなる前に数キロ先のアルゼンチンの国境へ向かいました。自宅に戻ってきた今感じることは、ルカとここで過ごした時間はまるで夢のようでした。 つづく。