Into the Andes: Chapter Five
父と息子の大冒険
アルゼンチンを北上する最後の1週間は新たな経験と、どこか懐かしさを感じる旅でした。チョス・マラルからメンドーサのネウケン北部に来るのは初めての経験でした。しかし、砂漠が広がるその光景は、かつて私たち家族が住んでいたテキサス西部のビッグ・ベンドの町にとても似ていました。国道40号線を1週間走り続け、ついに目的地に到着。ガブリエルのぶどう畑は雪をかぶったアンデス山脈まで続いています。
「街と街の間隔が離れているため、この1週間はとてもチャレンジングなものでした。」
ここまで約1,600キロを走ってきたので、食料や着るものも底をついています。砂漠の道は本当に厳しく、国道40号線沿いは街と街の間隔も離れているため、この1週間はとてもチャレンジングなものでした。気温30度のなか、数時間も走り続けたのです。
お店もたくさんあり、食べ物の調達が簡単で、安心してキャンプできる公園に到着。そこには、ヒッチハイクで北へ向かう2人と、車で南へ旅行していたドイツ人2人もいました。ここからの100キロは一番苦しかったです。バルダス・ブランカスへ向かう国道は未舗装のため、今までで最も大変なグラベルライドでした。15センチほどの凸凹がある洗濯板のような道に、浮き石や岩がたくさんありました。しかし、旅の目的地が近づいていることを知り、いつも以上に力強いペダルで走破することができたのです。12時間ほど走り続け、ついに広く浅いリオグランデ川の近くのキャンプ場に到着。そこでキャンプ最後の夕食を料理することにしました。途中、買い物をした市場の名前にちなみ、その料理を「アルマケンアルケミー」と名付けました。材料は、白豆、クリームコーン、サラミ、砕いたクラッカー。味は、最高でした。夜になると、川の反対側でオイルとガスのフラッキング作業が行われ、暗い夜の空を明るく照らしてくれました。
時速50キロ以上の強風が吹いていたため、バルダス・ブランカスで一度休憩をとりましたが、その後風の向きが急に変わったため、最後の登りは簡単に越えることができました。途中、少し寄り道をして、小さなグランドキャニオンとも呼ばれるカニョンデル・アトゥエルで2日間過ごしました。キャンプ最後の夜は川沿いの木の下にテントを張りました。木に紐を結び、洗濯物を干すのに最適でした。
ついに、最後の長い一日が始まりました。5週間前バリローチェを出発して、私たちの最終目的地エルセピージョのぶどう畑まであと120キロ。道路は舗装されていて、追い風の影響で楽に走ることができました。真昼は小さな公園の木陰でのんびり休みましたが、早く目的地へ行きたかったので早目に出発しました。到着すれば自転車中心の生活から離れ、新たな生活が始まります。毎日目覚めてから、荷造り、自転車での移動、そしてまた新たな場所での生活。激しくも平和な日々でした。
「到着すれば自転車中心の生活から離れ、新たな生活が始まります。
ルカが考えたルートは、国道40号線から北西にあるアンデス山脈のダートロードを通り、ガブリエルのブドウ畑へと続いていました。目的地が近くなる頃には日が沈み始めました。いつもであれば走るのを止めてキャンプをする時間です。しかしこの日はまだ1日が終わっていません。最後の角を曲がり、ぶどう畑へと続く道へ向かいます。16ヘクタールのその土地は、高い木で囲まれて、建物はなくぶどうの高いつるしか見えませんでした。そのとき近くで、たき火を楽しんでいる6人に気が付きました。
前日、ガブリエルに到着する日は伝えていましたが、時間は教えていませんでした。近づくとガブリエルが笑顔を見せ、私たちに手を振っていました。バイクを停め、その輪に加わりました。座っていたのは、ガブリエルのワインを飲みに来たブエノスアイレス出身のソムリエとレストランの人たちでした。暑かったため、みんなカジュアルな出で立ちです。私たちは一日中太陽の下を走り続けていたので汗だらけでした。一人の男性に「今日はどのぐらい走ったのか」と尋ねられ、「120キロだ」と答えると、「どこから?」と聞かれ、「バリローチェから来た」と話すとみんな驚いていました。その男性は自家製チョリソを皿に取り、私とルカにサーブしてくれました。
その瞬間、この旅の朝と夜、登りと下り、人々との出会いや困難など、いろいろな思い出が蘇ってきました。別の人がルカと私に美味しいマルベックワインを注いでくれました。
ルカはテーブルの端に座りぼんやりと空を眺め、この旅で経験したすべてのことを深く考えているようでした。そしてルカは笑顔を見せ、テーブルを囲む新しい友達とグラスを掲げて乾杯しました。 完
「ルカは笑顔でテーブルを囲む新しい友達とグラスを掲げて乾杯したのです。」